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2013年7月18日

パール街の少年たち

先日、普段通らない道を歩いていたら、いきなり目の前にこんな光景が!



ハンガリーの作家モルナール・フェレンツ(Molnár Ferenc、姓・名の順に記載)の小説、"Pál utcai fiúk"(「パール街の少年たち」という訳本が日本でも出版されているようです)の一場面じゃないですか!

この小説はハンガリーでは小学校高学年の課題図書にもなっており、ハンガリー人なら誰でもよく知っているお話です。
少年たちの縄張り争いをもとに思春期の葛藤を描いたもので、大人への階段を前に逡巡した頃を思い出し、懐かしくも物悲しい気持ちになります。
 
ハンガリー語がある程度理解出来るようになった頃、ハンガリー人達が会話に小説の一節や歴史上の人物の言葉をよく引用することに気付きました。
「パール街」なら、単なる地名だけではなく、この小説に描かれた世界と、それを読んだ時の気持ちも含まれます。

言葉を習得するのにいくら単語や文法を覚えてもそれだけでは十分ではない、その言葉を話す人々と同じ文化的背景を持つ必要があると気付くのに時間はかかりませんでした。

幸い、読書家の義両親と夫(←今ではすっかりゲーマーですけど、かつては本の虫でした)のお陰で我が家は本で溢れています。
「ハンガリー人なら誰でも知っていて、私にも読めそうな本」を夫に選んでもらい、辞書を引き引き、連日読書に明け暮れたものです。
私自身、重度の活字中毒患者なのに日本語の本をあまり持ってきていないので、読書への飢えはもっぱらハンガリー語の本で癒しました。

最近はネットのお陰で毎日日本語に触れられるし、あまり本を読まなくなってしまいましたが、このパール街の少年たちの像を見て本が恋しくなりました。
家にはまだ読んでいない本がたくさんあるのに…。

そういえばパール街(Pál utca=パール通りと訳す方がいいと思うのですが…)をはじめこの小説に出てくる地名は我が家からそれほど遠くない所にあります。
よし、この本をもう一度読み返して、小説の舞台巡りしよっと!

そう言うと、夫は電子書籍をタブレットに入れてくれました。
ハンガリー文学の名作がほぼ網羅されているのですが、不慣れなせいか電子書籍は読み応えに欠けるような気がします。
やはり私は紙の本がいいです。

3 件のコメント:

  1. 赤白緑さま:暑中お見舞い申し上げます

     毎日、暑いですな!
     久し振りに訪問したところ、本日の話題は、日本でも著名な児童文学作品【パール街の少年団】との由、遠い昔、夢中で読み耽った日々が記憶に蘇って来ました。

     「おや、題名が違うじゃないか?」「間違えているのでは?」と思われるやも知れません。このブログで表記されていますのは、多分、ハンガリー文学に詳しい翻訳家・岩崎悦子が翻訳した

    【パール街の少年たち】(学習研究社、1969年頃に発行)

    ではないかと推測します。

     私がその昔、小学生時代に愛読したのは、

    【パール街の少年団】(宇野利泰・翻訳、東京創元社、1957年発行)

     です。書籍全体として見れば、全然パッとしない渋いカーキ色の装丁で、ブ厚い箱入りの重厚な「世界少年少女文学全集」の諸国編に収録されていた小説です。
     先程ネット上の百科事典で確認しますと、翻訳者の宇野はドイツ文学が専門だったそうで、専ら英米の推理小説をこの出版社から上梓していた模様です。従って、原作のハンガリー語ではなく、翻訳された英語版、若しくはドイツ語版から重訳したものと推測しております。

     内容は、悪戯小僧達の日常生活が、これでもか、これでもか、と云わんばかりに微に入り細を穿いて描写されており、怠けていたい私なぞは一遍に惹き込まれて仕舞ったのです。
     小説の主人公は、勉強嫌いの悪餓鬼どもで、イヤイヤながら受けていた土曜日の授業の終わり近く、学校の直ぐ近くの路上に移動の駄菓子屋がやって来て、飴菓子の販売開始を告げる喇叭を吹き鳴らすと、
     もう、授業なんて上の空で聞いていた悪餓鬼経ちは一遍に浮足立って、ブンゼン灯を使った理科の実験が手に就かなくなる----と云う書き出しからして、極東の島国の少年の心は、作者・モルナールに鷲掴みにされ、東欧の街角に拉致されて仕舞ったのです。

     今から思えば、流石は児童文学作家、少年の心をパッと掴むのが実に巧みです。翻訳者の宇野も、その辺りは心得たもので、落語で云うところの「ツカミの呼吸が分かっていた」のでしょう。
     絶妙の書き出しでした。

     少年団の団結の象徴が、口中にて常温で温め何時でも使える状態にしておく「パテの塊の粘性の維持保存義務の履行」であったところなぞ、小学生には実に分かり易い筋書きの設定で、自分も、異国の街角で縄張り闘争に血道を上げる少年団の、イッパシの構成員を気取ったものでした。

     ところで赤白緑さん、この小説も含め東欧文化圏の作品は、かなり以前に翻訳されたものが、その後、再度訳出される事例が結構、目につきます。
     有名な例では、数年前にノーベル文学賞に輝いたケルテス・イムレの作品【運命亡きものFateless】が英語訳で読まれ、次いで受賞を契機にそれ以後は、先に紹介した岩崎悦子の日本語訳による【運命ではなく】で読まれることが多くなった事例などが挙げられます。

     本日は、こうして、昔愛読した小説のワル達が街頭で演ずる縄張り争いの屋外彫刻まで伝えて頂き、有難うございました。
     お元気で。  

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  2. 赤白緑さま

     昨日の投稿分ですが、誤字がありました。狭い投稿欄に纏めて書き込んだので、書き損じたものと思います。失礼しました。以下の通り、訂正します。

    1) X:細を穿いて
      ◎:細を穿って

    2) X:悪餓鬼経ち
      ◎:悪餓鬼達

    3) △:【運命亡きものFateless】
      ◎:【運命(さだめ)亡(な)きものFateless】

     お元気で。

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    1. 小説の内容を詳しく解説して下さってありがとうございました。
      私自身は恥ずかしながらハンガリーに来るまでハンガリー文学に触れる機会がありませんでした。
      Yozakuraさんは小学生の頃に既にモルナールの作品をお読みになったのですね。
      当時のご自身と同世代の少年達の物語、さぞ楽しまれたことと思います。

      日本ではまだまだ知名度の低いハンガリー文学ですが、それでも再版されていると伺い嬉しく思います。

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